スピ大のコミュニティの使い方の説明の中に、このような文があります。
スピリチュアル大学では、ありのままでいいのです。それは、自分自身に責任を持つという意味でもあります。これはスピ大生の指針にもなっています。
『自己責任』は、スピ大では大切なキーワードの1つです。自分が発したものは自分に還ってくるという原則を学んでいるのでそれが根底にあります。
ですので、公開状態でも安心して書き記しておくことができます。(日記は、公開にも非公開にもできます)
コミュニティルームや日記に書いたときに発したエネルギーは、学び続けていると自分に還ってくることがわかっているので、不満や批判などがあった時は、「今はこのように感じている」目線で書いていきます。
「自分の記録」というスタンスで、自分を見つめ書いていく感じでしょうか。
たとえば、自分の子どもを虐待して死なせてしまったニュースを見て、親に対して怒りが出てきた方は多いことでしょう。それに対して、「腹立たしさを感じた」と感じたら書いておきます。
後で、「なぜそこに激しく反応したか?」も紐解かれることがあります。
わたしも自分の記録としての日記の存在が、とても大きいと後々で感じました。意識がだいぶ違っていることがわかります。
下の文は8年前の日記から引っ張り出してきたものです。ある選挙のことについて自分の想いを記録していました。
わたしは、最初から結果が決まっている意味のない選挙に対して、半端じゃなく腹を立てている。
形式だけのことにムカッときているらしい。
形式だけのこと、取ろ繕うだけの実質がないことに腹を立てていた8年前。ふと、最近気付いたことがありました。
「腹を立てていたのは、自分も同じような形式だけのことををしているから」
ということはその頃にも気がついていて、自分の中から当時なりに探り当てていました。
「自分で決めたことだから、気が乗らなくてもやる」
無意識でいると、今もまだ「~ねばならない」に引きづられている自分に気付きましたが、でも、今は、それに気付いたらどうするか?という対応をできるのが、「学び続けた力」かと感じています。
そう感じているんだ~と客観的に切り替えられるので、その感情に引きずられる時間が短いことは言うまでもありませんが、「意識帯を変える瞑想」で、重い意識帯から軽い意識帯に意識を移行させることができたり、また「ゲーム化」してしまうことで楽しみに変えてみたりすることもできます。
「自分で決めたこと」でも、変えてもいいんじゃない? そんな気持ちにも軽々なれるのは、8年前との違いかもしれません。「~ねばならない」呪縛からだいぶ解き放たれてきた感があります。
日記を読み返してみると、笑っちゃうようなことも書かれていますが、『継続は力』を以前の日記を見返して感じられるのが、記録を取っておく良さでもあると感じています。


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